美鶴は唇を小さく噛み締めた。
誰がバラしたのだろう? ツバサか? 蔦か? それとも瑠駆真か? 聡?
瑠駆真や聡がバラしたという証拠はどこにもない。だが美鶴には、どうしてもあの二人のうちのどちらかであるような気がする。
ツバサや蔦康煕には、バラす動機が無い。だがあの二人には、ある。
こんな事をして、私が霞流さんを諦めるとでも思っているのだろうか?
机に突っ伏す。
ここまで、するのか?
二人がどれほど自分を本気で想ってくれているのか、それは美鶴にもわかっているつもりだった。だが、これは恋とは違う。
こんな事をして、私の気持ちが二人のどちらかに傾くとでも思っているのだろうか? そんな事、あるワケがないのに。
それともこれは嫌がらせか? 反撃か? 私が二人の気持ちを無視して別の男の人を好きになってしまったから、だからそれが許せないとでも?
わからない。
何をするでもなく、駅舎の中で一人ポツンと呆ける。壁にブラ下がる路面電車の賑わいを偲ぶパネルの一つが、少し傾いている。
直した方がいいのかな? 一応、管理を依頼されている身だし。
頭ではそんなコトを考えている。だが、直すつもりが自分には無いコトを、自分自身でもわかっている。
一人でこんなに長時間を駅舎で過ごすのは久しぶりだ。ちょうど一年ほど前、聡と瑠駆真が転入してきてから、ここで一人で過ごす時間は減った。
一年が、経ったのか。
場違いな感慨が美鶴を包む。
二人は、今日もここへ来るのだろう。
私のサボりを知って、探しにやってくるのかもしれない。だが、他に行くアテもなかったので、ココから動く事もできずにいた。
昼食は摂っていない。お腹なんて空かない。
何もしたくない。何も。
若葉の風が揺れる。もうすぐ下校時間だ。やがて瑠駆真や聡がやってくる。
もうすぐ二人は来る。二人には会いたくない。
帰ろうか。
ノロノロと顔をあげた。霞む視界には無機質な机。その上を、影が動く。
サッと顔をあげた。聡が、見下ろしていた。
美鶴は立ち上がった。あまりにも勢いよく立ち上がったので、椅子が倒れそうになった。
「俺じゃない」
開口一番、聡は言った。
「俺は、バラしてはいない」
何か言わなければいけない。そう思うのに、何も言葉が出てこない。聡の言葉に反論する事もできない。結局は無言のまま鞄を掴み、駅舎を飛び出そうとした。その身体に腕が伸びた。抱き締められた。
恥ずかしいような息苦しいような、妙な感情が湧きあがる。
「離せ」
身を捩ってもびくともしない。
「離せよ」
聡は、何も言わずにただ抱き締めた。顔を美鶴の髪の毛に押し当てる。抱き締めるというよりも、全身を美鶴に押し付けているようだ。胸が大きく上下している。腕の力は、美鶴が逃れようとするたびに強くなり、やがては身動きが取れないほどに熱くなってしまった。
声も出せない。
瞳を閉じ、ひたすら状況に耐えた。聡は相変わらず無言で、そよ風の音すら聞こえてきそうなほどの無音の空間が、駅舎の中に広がった。
「俺じゃない」
呟くような声。
「俺じゃない。けど」
掠れるような声。
「霞流はやめろ」
あまりにもさりげない声に、美鶴は、自分に対して言われているような気がしなかった。
「テスト終わってから、また繁華街に行き始めてるのか? GWは何してた?」
行ってない。行きたかったが、連休中は補導員などが見回りをしている事が多い。見つかるワケにはいかない。
「夜遊び、してんのか?」
「してないよ。それに」
強く抱き締められながら、苦し紛れに答える。
「あれは夜遊びじゃない」
「じゃあ何だ?」
声が耳に吹きかかる。
「夜の夜中に繁華街を出歩いて、遊びで無ければなんなんだ?」
「遊びじゃない」
断言する。
「本気だ」
「霞流はやめろ」
「お前がバラしたのか?」
ピリッと、聡の全身に電流が流れた。総毛立つ。
俺は、そんな男だと思われていたのか?
当然だ。
自嘲する。
そう思われても仕方のないような事を、俺はさんざんしてきた。
「俺じゃない」
そう言う事しかできない。
「俺がバラしたワケじゃない」
「じゃあ、誰よ?」
「瑠駆真という可能性だってある」
美鶴は、答えられなかった。
瑠駆真は、バラすだろうか?
彼ならばやるかもしれないという考えと、彼はそんな事はしないという思いが交差する。
GW前の電話を思い出す。
そうだ。美鶴は瑠駆真と電話で会話をした。最後は少し言い争うように終わってしまった。
「くだらない事を言うな。できるものなら、今すぐにそっちへ飛んでいって、面と向かって訴えたいくらいだ」
怒っていたかどうかはわからないが、興奮していた事には間違いない。あれ以降、美鶴と瑠駆真との間に、ラテフィルの話題がのぼった事は無い。瑠駆真がどうなのかはわからないが、美鶴は努めてその言葉を口にはしないようにしている。翌日の彼の態度は、いつもとまるで変わらなかった。だから、あの電話を瑠駆真がそれほど深く気にしていたとは思えなかった。
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